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■ 無差別殺人について

<JADGEさんより>今から書く事は個人的見解として書かせてもらう。

 日本で無差別殺人事件が発生しているが、その起因となる容疑者の資質で問題となるのが自己と社会との関係である。更に言えば生と死をどう認識しているかである。簡単に言えばガキの頃に死を考えさせる機会があったか、無かったかである。幼い時に犬や猫、金魚、ハムスター、亀を飼った事があるのか、あるいは飼った事があり、その時に死を経験し、そして人として生きることをどう考えているかである。

 私は今、雌の三毛猫を飼っている。この猫(彼女)は亡くなった叔父の形見なのだが、この猫に生きる事とは奇麗事では生きられない。生きる為に時には恥をかくことも必要な時もある。そして生きている時は残酷な経験をしなくてはいけない時もある。猫には、生きる価値と、喜びを知ることが出来るという事を自らで示して生きている事を見せて貰えた。最近の飼い猫はキャットフードを食べるから空腹になってネズミや雀を採って食べる事をしない猫が一般的だと思う。しかし彼女は最近雀を採ってきて、私に見せた後でぺろりと食べてしまった。驚いたのだが、彼女の逞しさを見せて貰えた事に感謝した。それは生きることへの気力とはこうい事だと実体験で見せてくれた事への感謝である。

 餌を決められた時に与えていれば、欲しがる為に甘えてくる。私以外に親にも甘える。おこぼれを貰う為である。だから躾をする必要がある。適切に与えないと見苦しい。しかし、時にはそういう人間の常識(奢り)が通用しない時がある。それは猫本来の野生本能を失わない為に狩りをする能力だ。それが先ほど述べた、雀を採ってきてわざわざ私に見せて後で食した事である。

 人間も生きるか死ぬかの瀬戸際になった時にどんな行動が出来るか、国家存亡の危機になった時に国民はどんな行動が出来、何を必要とするか、生きる為に何が出来るか、最近の日本はこの答えを知らずに生きる人が多い。

 秋葉原での無差別殺人が発生する根本的な要因はこの事に尽きる。名誉や地位、格付けという幼稚なレッテルに拘る事で人は上手く生きる事が出来なくなる。生と死を突き詰めると国家も同じレベルで考える事が出来るのではないだろうか。宗教やイデオロギーでは絶対に見つけられない事を動物たちは常に実態の生体で表現しているのである。

 人が生きる事とは、恥を知り、己を知り、何が出来るかを見つける為に生きる事。この事に尽きるのである。

 じゃお前どうなんだと問われたら、私は恥と無知を知っているから少しはマシだと勘違いしているよ、雀を食した彼女に指摘されたと言っておく。

(コメント)生きているのがつらい、という人がいますが、人生はつらいことの中に楽しさを見つけることではないかと思います。中には毎日楽しくて仕方ない人もいるでしょう。それもいいでしょう。でも、毎日つらい人もいる。人間というのは結局、些末な幸せでも自分の中で価値を高めることができる感情の動物です。それぞれの幸せを見つけてください。

 




カテゴリ : [ボイス・オブ・ジャパン]  更新時間:2008年06月17日 08:59

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