抽象論(抜粋2)

抽象絵画の誕生
 既に述べたように抽象絵画の誕生は、20世紀に人類が成し遂げた重要な文明上の成果であった。
洋の東西を問わず、1910年にカンディンスキーが最初の水彩による抽象画を描き上げるまで、そもそも抽象絵画は存在しなかった。
西洋絵画は古代からプラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)とアリストテレス(紀元前384年 – 紀元前322年)の「芸術模倣説」と「鏡説」から深い影響を受けつづけてきたからである。
プラトンの名著『国家』第10巻(プラトン著、藤沢令夫訳『国家』岩波書店、1979年)の中で芸術と「模倣(ギリシャ語:ミメーシス)」の関係について詳しく論じられている。ここで取り上げられている例は、画家が描いた寝椅子とは大工が作った寝椅子の模倣であり、大工が作った寝椅子は、寝椅子「(中国語,理型、英語,form、ギリシャ語:エイドス)」の模倣である。こうした観点から、「形相」こそが真実の世界であり、絵画は単なる「模倣の模倣」にすぎないという考えが生まれた。絵画は「幻覚」を製造しているのであり、「真実」とは似て非なるものなのであるというのだ。
更にアリストテレスの『詩学』および悲劇論は、こうしたプラトンの模倣説を引き継いだものである。模倣説をさらに展開させ修正を加えたにすぎない。『模倣論』は感情または性格の再現を指しており、外観の複製ではないという。
以上のようにプラトンとアリストテレスは何れも「模倣説」の代表とみなされている。両者によれば人類は最も模倣力を持った動物であり、模倣力は人類の先天的な能力であり、人類が最初に得た学びの手段であった。
 こうした考え方によれば、フィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent van Gogh1853-1890)の『ゴッホの椅子』およびカンディンスキーが描いた『牛』は、「意識の上では実在する」椅子と牛を模倣したことになる。
そしてピエト・モンドリアン(Piet Mondrian、1872年-1944年)およびベン・ニコルソン(Ben Nicholson 1894年-1982年)の描く幾何学形は、「意識の上で決して実存しない」長方形、正方形、円形なのである。実際はそれぞれが独立した存在であり、別個に存在する何物かを代表しているわけではない。
 西洋芸術の発展の歴史において、中世期およびルネッサンス期の造形芸術は、創作のテーマはいずれもが宗教的なものであり、絵画は宗教に奉仕する存在であった。17、8世紀になると、絵画において文学的叙述性が大きな比重を占めるようになり、絵画は文学に奉仕する存在になる。
19世紀になると、写実主義が勃興する。画家ギュスターヴ・クールベ(Gustave Courbet 1819年-1877年)は、創作のテーマとして日常生活を取り上げた。肉眼で目にする世界を事細かに迫真的に描写することで、絵画は文学とは一線を画していく。更に下り、印象主義になると、自然の現象を更に写実主義より客観的かつ科学的に追究するようになる。ポスト印象主義(Post-Impressionism)に至っては、主観的態度で処理するようになる。
このように20世紀より前、西洋の写実的絵画は一貫して現実世界と密着した関係を保ちつづけていた。芸術家は「三次元の自然または現実」をいかに忠実に「二次元の画面」に再現できるかをひたすら追い求めてきた。この目的達成のために、画家は「錯覚(illusion)」を利用してきた。ここで言う錯覚とは外形の写実、遠近法、錯視などの技法を用いて、三次元を二次元へ置き換えようとしてきたことをいう。