翻訳メモ:芸術の二大潮流:大写実と大抽象

カンディンスキーは、1912年ミュンヘンで年刊『青騎士(Blaue Reiter Almanac)』に「フォルムの問題について(Über die Formfrage)」を発表した。この重要な論文において写実と抽象という2つの方法の両極について論議が展開され、この両極が必然的に道は違っても着くところは同じで、同一の目標に向かっている事が論じられた。カンディンスキーは、こう論ずる。

「芸術には2つの大きな流れがある。1つは、大写実(die große Realistik)であり、もう1つは、大抽象(die große Abstraktion)である。両者は、1つの道から2つに別れた道である。大抽象という道はよりいっそう光彩を放っている」

抽象と写実は芸術表現の2つの究極的あり方であり、両者は美術史において、相反しつつも恒久不変の趨勢を形成している。

写実絵画家は肉眼で見たところの「現実世界」を描き、それは人が自然にたいする視覚の記録であり、それによって、感情を述べる詩情で物語を語るのである。これこそが自然の客体に仕える芸術である。写実画は「視覚的な描写」なのだ。

それに対して、抽象画家は絵画の基本的構成要素と美的感性を用いて内的世界の計り知れない秘密を模索し、不可視的な内的世界を可視的な視覚的存在に変えていく。これこそが主体的意識を持った芸術として人類に奉仕する抽象絵画の意義なのである。これでわかるように、抽象芸術家と理論家が重視するのは、絵画の構成要素としての表現特性とその機能である。

写実画は、楽譜に歌詞が併記されている歌曲と同じで、美はすなわち美であり、醸し出される境地は、時として限界がある。抽象画は楽譜に歌詞が書かれていない楽曲のようで、彩り鮮やかな交響曲のように、無限の豊かな生命力が含まれている。これこそが「音楽の視覚化」としての抽象画の意義なのである。

この2つの大きな流れの違いを理解した上で、絵画の基本的構成要素を用いて、さらなる分析を行い別のアプローチを試みてみよう。写実と抽象芸術の特徴と模索する目標の違いから、その絵画の構成要素が作用する機能も違ってくる。抽象絵画の構成要素は、直接的に内的精神を表現するが、これは近代物理学の「質量とエネルギーの等価性 (E=mc2)」と相通ずる。抽象芸術の革命的観念は近代科学の新しい考え方と図らずも一致するのである。

以下のよう項目ごとに両者を比較対照してみるとそれが明確に理解できるだろう。

過去の歴史のなかで人類は悠久の時の流れのなかで膨大な芸術的遺産を遺して来たが、芸術創作は具象的に行われてきたこともあれば、20世紀の抽象絵画や彫刻に類似した抽象的図形や構成の芸術作品が存在したこともある。具象芸術と抽象芸術は、人類の美術史および文化史において終始併存してきたのであり、両者は連続性と循環性を兼ね備えてきたのである。

事実、1960年代から具象と抽象の間の区別は次第に消えてきている。当代芸術家の多くは伝統的な分類にはさして関心を傾けていない。芸術が存在し続けていくかぎり、具象と抽象の芸術のスタイルは、存在し続けていくと言えるだろう。こうした趨勢が継続的に発展していくと、こうした芸術を類型の差異による分類することをやめることが芸術界の論点になるであろうが、今はまだそこまで来ていない。

 

【表】写実絵画と抽象絵画の比較

  色彩 フォルム 空間 テーマ
写実絵画

 

描写的、光学的に自然や物象の自然色に依拠し、色彩本来の特徴や機能は無視される。 対象の表面的な外観を描写し、フォルムは識別できる。 遠近法による遠近と物理的空間は次元による制限を受ける。 対象の輪郭をなぞったもので、外在的である。 自然の外観を再現することを主旨とする。
抽象画

 

表現的で、光学的で、色彩は面とテーマにより独自に構成でき、本質の特徴と機能が十分発揮され、独特な精神性を持つ。

 

外在世界の一切の物理的関係性から離脱し、画家の内的生命の発展の歴史的過程を感性から記録し、フォルムは識別し得ない「言葉で表現できない」ものであり精神性を有する。 物理的空間(次元)の制約を受けず、自律的な空間をもち、精神性と主観性を有する。

 

表現的、独立的、内在的で、色区間の境界線をなす。

 

自然や文学性を放棄して、絵画の基本的構成要素に立ち戻る。