目覚めよ諸君

ある国の「市民集団」が、他のある国に対して反感や敵対心を抱く。そのような反感や敵対心は、どこに由来するものか。また、ある国の「市民集団」が、日々の生活の中で見聞きしたある事象に対して、恐怖や強い不安感を抱く。そのような恐怖や不安感は、何に由来するものか。このような悪感情は、個々の市民の日々の生活の中で、社会全体と比較すればはるかにミクロな個々人の営みの中で、自然に湧いてくるものだろうか。

 人間集団をコントロールする方法として、「恐怖」を煽ることは低コストだが確実に効果が期待できる方法の一つである。
 日本人は幸いにして漢字で直感的に単語のイメージを把握できる。中国語で「テロ攻撃」は「恐怖攻撃」、「テロリスト」は「恐怖分子」、「テロリズム」は「恐怖主義」。そうなのだ、テロリズムは市民の間に恐怖をまき散らし、個々の市民の不安感を高め、社会を不安定化させる。しかも、国家が軍を動員して行う正規戦とは比較にならない低コストで行うことができる。非正規戦なので、誰が、どこから、どのような目的で、どんな方法で仕掛けているのかが、見えにくい。だから、タチが悪い。なので、どの国も反テロに治安資源を割くことになってしまった。

 では、今の日本社会はどうか。日本社会における「不安」、「怒り」、「恐怖」といった燃料がどこからか注入されていないだろうか。
 まさに、今の「コロナ報道」がそうではないだろうか。恐怖を煽り立てられると、自分の頭で考えない多くの市民は、注入された情報(その内容は「恐怖」)にいとも簡単に支配されてしまう。少し冷静に物事を見る必要がある。

 市民に対して、病気に対する恐怖心のみをかき立てるような報道を示し、自粛を事実上強要し、経済的や社会的弱者の不安感情を怒りに昇華させる。「ウイルス」という目に見えにくい「敵」がいて、近く破局的なことになると騒ぎ立てる。今、マスコミがやっていることは、正にそうではないだろうか。結果的には、マスコミが「社会の公器」を自称するならば、情報を冷静かつ正しく提供し、個々の市民が物事を正しく考える助けになるべきだが、(マスコミが意図していないにせよ)結果的には全く逆のことをやっている。
 少し冷静に物事を見なければならないだろう。正しく事案を把握し、適切に恐れて効果的な対応をとる、このことが最も重要である。マスコミの扇動的な報道に乗せられて、むやみに自身の恐怖心をかき立て、自身が怒りの虜になってはいけない。冷静さを失い、流れを見失ってしまうことは、危険だ。社会全体に対する害悪でもある。落ち着かなければならない。

 新型コロナ感染症に対しては、確かに何らかの対応は必要だ。現時点では、ワクチンによる予防もできず、仮に発症したとしても、効果的な治療方法のレシピも固まったとは言い難い上に、感染力も弱くはない。だから、感染しないように対応は必要で、特に医療や介護、社会安全の担い手が倒れないように対策は必要だろう。
 また、既存薬を用いた効果的な重症化抑止のための標準治療が確立するまでの間、指定感染症として罹患者のコントロールを行いやすくするというのならば、(現状からすれば多少大げさかとも思うが、)社会安定の作戦として、理解できなくもない。

 しかし、これらを前提としたとしても、今のマスコミの報道のスタンスは、ひたすらに恐怖を煽っているだけではないか。連日、大々的に「感染者数」が増加した、今にも医療崩壊が生じてしまう、こう言わんばかりの報道が繰り返される。
 新型コロナの最初の流行期には、「発症者の2割は重症化する」とか、「何万人も死ぬ」と言われていた。初めて出会ったウイルスなので、知見が集積されるまでは断片的な情報で対応するほかない。しかし、実際のところは、どうだったのか、そして、現状はどうなのか。冷静に考える必要がある。
 現時点では、被検者の増加にともなってか、「感染者」は増えている。だが、それら「感染者」からどの程度「発症者」が出ているのか、そして、新規の「発症者」がどの程度の割合で重症化しているのか、そういう部分をすっ飛ばして、「感染者」が増えたから「大変だ!!」としか言わない。春先の流行で、日本における死亡率や重症化率が知見として得られているにもかかわらず、それらにあえて蓋をして「恐怖」を煽る。日本のマスコミは、日本社会に対して、いったい何をどうしたいのだろうか。情報の受け手である「市民」は、頭を冷やして考えなければならない。

 標準治療が確立しておらず、病態も完全に解明できているとは言い難いので、警戒は必要だ。実際に新型コロナ感染症で死ぬ人もいる。「感染者」は増えているから、見かけでは新型コロナ感染症は流行しているようにも思える。だが、実際のところは、発症率や重症化率は思ったほど上がっていない。感染者が増え始めてからそろそろ1か月経過する。だとすれば、1か月前に感染発覚したり発症したりした人から、重症者がぽろぽろと増えてきてもおかしくないはずだが、実際には重症者はそこまで増えていない。
 反面、今のままで経済規模の縮小が続いたら、カネが切れて死ぬ人も出てくるのではないか。その弊害は、多くの「市民」は、身の回りの生活の中で実感し始めているのではないか。

 「感染者」や「軽症者」は出てきても仕方ない。感染しにくくするように、密は避けて、暑いがマスクも使い、通勤や会社に人が集まらないように、テレワークとか時差出勤とか地方移住とか、可能な方法を雇用者に考えてもらいながら、腹をくくって経済も回してみる。重症者が増えてきて本当に医療崩壊が起きそうな気配が強まる前は、経済も多少は回していく。カネを回せるところには回して、腰折れした景気を少しでも持ち上げるような積極政策を打つ。要するに、今、政府は、そういう方向を見ているのだろう。
 だとすれば、マスコミがやっている今の報道は、何なのだろう。市民に恐怖を植え付けているのではないか。報道テロではないのか。落ち着いて周囲を見渡して、よく考える必要がある。

 そもそも、本当に今がそんなに危機ならば、今こそ「何とかアラート」を発令すれば良かろう。6月当初に緑のタヌキが発令した「東京アラート」とは、いったい何だったのか。都知事選挙対策、そして、愚民をだまして国政復帰のために現状を奇貨として一芝居打っただけではないのか。「東京アラート」で感染抑制できたのか、医療現場の逼迫は軽減したのか、そして、経済活動は回復高揚するきっかけをつかめたのか。振り返って総括すべきだ。
 政治家だから選挙を念頭において対応することも、仕方ないといえばそうなる。緑のタヌキ以外にも、山っ気の多い地方政治家が上昇気流をつかむために、コロナ禍を政治的な神風と見て、それを活用するというならば、それでも良かろう。
 だが、マスコミの報道テロがここまで効果的に人心を動揺させる効果を発揮するのは、なぜだろう。政治にも、その責任があるのではないか。中央政府が「経済活動も重視する方針」と決めたなら、もっと強いメッセージを発信すべきではないか。そして、中央政府と東京地方政府が互いを罵りあうような方向性の不一致を見せ続けてよいのか。
 政治家が我田引水的な動きを見せることも、政治家の「さが」と言ってしまえばそれまでで、そのことはやむを得ないかもしれない。だが、そろそろ民心安定のために強力な方向性を示す頃合いではないか。実体経済を反映しない株価がいつまでも続くのか。実体経済を早く立て直さなければ、「次」の波に対応できなくなるのではないか。そのように考えると、マスコミが恐怖を煽る報道テロの片棒を、政治も担いでいるのと変わらないのではないか。

 一度、落ち着いて考えるタイミングだ。
 人間死ぬのは、コロナだけではない。寝てる間に心筋梗塞で、明日の朝日を見られないかもしれない。
 人が置かれた環境は千差万別、全員が満足する政策はあり得ない。
 そう割り切った上で、刻々と流動する「今」の情勢、確認できる事実に適合した合理的な施策を打ち続けるのが政治の責任であり、その判断を支えるため、冷静な客観報道をするのがマスコミの責任ではないか。