この国のほとんどを占めるアホ国民が目覚める日は来るか?

今日は75年目の敗戦の日ですね。当方の祖母も外地からの引き揚げ者でしたが、常々「敗戦国民は哀れなもの」と言ってました。経済的に復興を遂げた後も、「戦前は1ドルが100円も200円もしなかった。まだ日本は負けたまま」と言っていたのをふと思い出します。厳密な意味で政治的・経済的に考えると、うーん…と思うところもありますが、戦後75年を経過し、未だに日本は敗戦国なのか、それとも、先の戦争の戦後は過ぎ去り、次の戦争の戦前にあるのか、現状をどのように規定すべきか難しい判断を迫られる時期に入ったように思われます。

 当方、あまりオカルト的な話には明るくないのですが、平成3年の夏だったか、朝日新聞で本多勝一が書いた旧ソ連の連載紀行の一節がずっと記憶の片隅に残っており、昨日、思い立って縮刷版を探し、その記事に平成3年9月7日夕刊で再会しました。
 当時、ソ連の政局が混乱する中、本多勝一が旧ソ連を巡るというものでしたが、よく当たるとの触れ込みのゾロアスター教系の占星術師から予言めいた話を聞いたという、朝日新聞とか本多勝一からは想像しがたい内容です。その中の一節に、その占星術師が「宇宙の摂理として72年の周期がある」という趣旨のことを言ったとあります。
 この記事は「オカルト」業界界隈で当時注目されたようですが(苦笑)、どうやら「国家は72周期が終わりを告げる前に新しい改革をしなければ、その国は必ず崩壊の道をたどる」ということらしく、オカルト業界界隈では、各国の歴史に当てはめても概ね正しいといえると受け止められているようです。
 まあ、オカルト業界の反応はさておき、仮にこれを日本に当てはめるとどうなのか。戦後日本のフレームがいつ固まったと見るのかが問題になりますが、日本国憲法の施行から72年後は2019年、サンフランシスコ講和条約の署名からならば2023年。日本が滅びるとは思っていませんが、それでも、内外ともに変革の時期にあることは体感としては違いないようです。
 そして中共はどうか。1949年の開国大典から72年は2021年。今の中共は、開国大典で中共の成立を宣言した毛沢東と同じ政治的性向、政治手法の虜になっている習近平が執権者に収まり、毛沢東晩年の批判を許容しない独裁的傾向を見せているのは、皮肉というほかありません。

 たまたま、この時期にやってきたコロナ騒動は、先の大戦に日本が巻き込まれていった過程と重ねると、大変興味深い観察もできるかと思うところです。

 それまでの政策の継続性を断ち切り、現状に至るまでに生じた犠牲をあえて切り捨てるような意思決定をなし得る相当強力なリーダーシップが求められる困難な時代だったにもかかわらず、期限付きの懸案事項が山積するのを眼前にしても何も決定できず先送りする国家観が欠落した政治指導者。
 満州事変以降、一部には真贋がはっきりしないものも含む「現地情報」を報じ、世界恐慌の影響での売上低迷から一転、大きく部数を伸ばした新聞者。軍や政治指導者が戦意高揚のために利用したラジオとニュース映画。民衆の熱狂を煽るこれらメディアによって作られた世論の高まりが、逆に、メディア報道の方向性を民衆の望む方向に縛ることとなる双方向性の作用を産み出し、お互いが相互にもたれ合う中でどこまでも熱狂が高まっていく不思議な世論形成のプロセス。
 そして、その熱狂の渦に巻き込まれた民衆の「世論」に縛られ、「玉虫色」「非決定」が文化となっていた政治指導者とのもたれ合い。もたれ合って決まらないこと、主体的に決めないことで次第に選択肢が狭まり、国力や外部情勢に適合しない不合理な国家政策がなし崩し的に流されるように決まってしまう。
 政治指導者はというと、例えば近衛文麿のように、蒋介石を相手にせずとして支那を断固膺懲すると国民の戦争熱を煽り、「新体制」を呼号し大政翼賛会を結成させ、更には国民に米英排撃を煽り日独伊三国同盟締結。ところが、合衆国から対米交渉を打ち切られ抜き差しならない段階に至るや「戦争に私は自信はない」と言って政権を投げ出す。東條英機が次の執権に収まると、今度は裏で合衆国との和平工作にいそしむ。今と同じくメディアで電波芸者よろしく人気を取るポピュリスト政治屋の原型なのか、それとも、どこかの国にセットされたスリーパーだったのか…。

 この絵姿は、先の大戦前の話だけど、どこか、今の日本とそっくりに見えます。今の日本を取り巻く情勢は、コロナだけではなく、近々来るだろう地震にも備えなければならない、米中対立の中でうまく立ち回らなければならない。なのに、昔と変わっていないのか…。ゾロアスター教の72年周期説は、ひょっとしたら正しいのかもしれません。