そりゃそうさ。

「二階堂さんは神になりたいんですか」

と、複数の人に聞かれた。そりゃぁ、「何でも好き勝手自分の思ったとおりに人を動かす」力がなんの努力もなく入るのなら、断る奴などいないだろう。一方、神とは「人々に崇め奉られる」存在でもある。だが私は別に、崇め奉られなくてもいい。生きていくのに邪魔くさい連中は排除するが、いくつか前の更新で書いたように「使えるイエスマン」は置いておきたいが、それだけだし、それも、特定の目標が叶えばいらない。友達も親戚もなにもかもいらないくらいだ。

元来人嫌いの俺がなんでこんな事をやっているか。それは単に「いまこれしかやることがないから」だ。ほかに効率がいいことがあればそっちをやるし、もっと楽しいこと、不思議なことが出来るのなら、サイトなんて躊躇なくやめて違うことをするだろう。

さて話がそれたが、「神」とはなんぞやということだ。畏れの対象だったり、時には救いの存在だったり、はたまた、恨みを晴らす呪いを願う対象だったりと、様々だが、いずれにしろ「ひとができないこと」をするという点で、一線を引かれる存在だ。

当然ながら、俺はいわゆる「普通の人が歩む人生」を一切歩んでいない。生まれから育ち、青年期に体験したことからして、とんでもないことばっかりだ。今ですらいろんなことがある。その点で、いわゆる大多数の一般人とは一線を画する存在である。だから、「神」に近いものを感じ取っている人がいるのだろうと思うが、俺は残念ながら、自由自在に人の心を扱ったり、災厄を落としたり、癒やしを人に与えたりは出来ない。国を救うことも出来ないし、それらをやるつもりもない。

もし神なんてものがいるのであれば、ただ、1回だけ、神様的な力を貸して欲しい。代償が高くついてもいい。その代償が、俺が死んだ後、神になり、永遠に人間の闇を見続けることになるのだとしても。