目の前の景色

今見ている景色、といってもこれを打っているのだからパソコンの画面を見ているのだが、その、今見ているものを「他の次元から見ている」という感覚になっている。もともとそういう風になるときがあったのだが、最近そうなることが多い。やたらと人と会うとそういう感覚も消えていくのだが、それは、おそらくほとんどの人が存在するであろう3次元空間の中に自分を置くからだろう。「話す」ことでコミュニケーションをとる必要があると、「他の次元から見ている」という感覚が消失していく。

最近、人と全く話したくない。話すのが面倒なのだ。LINEやメールはいいが、話すのが面倒。「わかってないなこの人」とかなると余計に面倒だ。その場を適当にごまかして終わることだけ考えてしまう。

精神科医から見れば、こういう症状にもなんとかいう名前をつけて、不安がどうしたと言って脳内物質をいじくるクスリでも出すのであろうが、幸い日常生活には全く影響がないし、わたしのような仕事であれば、文章でのコミュニケーションだけで事足りることも多い。現実に動かなくてはならないものも、人に任せる。そしてきちんと謝礼をする。しかし一連の作業すべてが会話せずに行われれば凄く楽だ。

・・・あ、領収書まだ送ってない・・・

↑これ、2週間前に言われているのにまだ送ってない。10分もあれば作って郵送出来るのに、やらない。いや、やれない。なぜかわからないが、先方に「もう少し待ってください」などと言っている自分がいる。別に借金の返済ではなく、領収書送るだけなのに。なぜできないのだろう。申し訳ないんだが、でも「出来ない理由が何かあるのか」と思ったりもする。一方、なんでもそうなのだが、突然でかける30分前に思い立って、何ヶ月もやらなかったことを30分で終わらせることもある。これはひとえに、俺に監督者がいないからなのだが、監督者などがいてアレやれこれやれなんていわれると、とたんにへそを曲げるだろうし、秘書役は無理だろう。出来るとしたら、俺を扱える一人しかいないだろうが、そうすると「そいつに俺が受けている仕事を教える」という仕事が俺に増えるのでまた面倒だ。そういって、時間がたってしまう。外から見れば、理由をつけてサボっているだけの変な奴、ということになるだろうが。

電話が嫌いで、店の予約なんかもネットで済ませる。知っているところは「俺だよ」で終わりだからいいのだが、知らないと、めんどくさくてたまらない。面倒と言うより人と話すのが怖い、という感覚か。怖い、というのもちょっと違うのだが。

今年に入ってから、人と話さない生活に拍車がかかった。そのせいで余計に人と会うのがおっくうとなり、外出するのが面倒になっている。本当に籠もっていると楽だ。本を読んで考えて、情報を仕入れてLINEで会話して。

人はそれぞれ、カミの入るスペースがある。自分という器につまらないモノを入れているとカミは来ないし、器が小さいと、大きなカミは来ないだろう。そう思っているのだが、私自身もカミなんだろうな、と思うときがある。このサイトを持てたこと、そしてある程度の力を持てたこと、それはニンゲンとしての自分がやったことなのだろうが、単なる訳のわからない人がここまで出来るというのは、やはり自分の中にカミがいるからなのだろう。事実、私に変なことをするニンゲンは必ず天罰が下る。先日もいろいろあったが、どうも大変なことになり始めているようだ。まぁ、しかたがないだろうね。人を呪わば穴二つなんていうが、あんなものは、「本当に呪ったら死ぬ」からそういっているだけだ。自分に返ってくるからやめなさいと言う抑止力を植え付けているだけで、人が死んでも何とも思わない私なんぞは全く何もない。気の弱い、つまり「器」の小さいニンゲンが呪いなんてやるからダメなのだ。私の器が大きいとはいわないが。

すべてを見通す先見と知力と・・が備わった。これはなんの力か。周りにいるそれぞれのニンゲン、もちろん読者も含むが、それらの力を借りて出来たのだろう。自分にもなにかあるのだろう。しかし、冒頭に書いたように「違う次元から眺めている」感覚なので、もはや、いろんな感情とかも消失しつつある。悟るというかなんというかよくわからないのだが。俺は釈迦がうつ病で、食うのも面倒になった精神病患者だと思うが(笑)、最後、涅槃とか言ってて「寝てて死んじゃいました」というのはわかるような気がする。しかし、アレはダメだ。そんなこと、最初からわかっていることじゃないか。

だからニンゲンの部分を持って、感情を持たないと。このままいると、本当に変な予言とか言霊でなんか出来そうで怖い。よく考えてみれば、俺がキャバクラに行くのも、ニンゲンの部分を保つためではなかったか。自分が風船みたいに上がってしまうのを抑えていてくれるのがそういう存在ではないかと思う。だからあれだけ行っていたのだ。

もうどちらにでも行けるような気がする。いやぁ、こんなことを書いていると「いよいよモノホンのキチガイだ」と思われそうだが、まぁ、それもやむを得まい。人にどう思われるか、というのを考える時点でニンゲンなのだ。

この境地にまで来ると思わなかった。普通は坊主だのなんだのがここまで来るのだろうが、爛れて生きながらここまでくるのはいないのではないか。

でも、ニンゲンらしく現実でもがいて右往左往して苦労している方が、きっと、幸せな人生だと思う。みなさんも、どうか幸せに生きてくださいね。