あれこれ目移りする

俺は落ち着きがない。いまでいえばADHDだの何だの病名がつくのかもしれないが、少なくとも授業中はちゃんと座っていた(寝てただけという話もあるが)。

勉強も、一気に集中すると全問正解とかになるのだが、やる気がないとだめ。英語ができないのは、中学校で最初に教わったのがなにせホモっぽいひげが濃い独身男で、しかも性格が悪かったからだ。その後も英語教師には恵まれず・・・しかし、国語や社会は結構な美人先生だったので、成績が一気に上昇。褒められたいがためにあるとあらゆる角度から勉強をしたものだ。おかげでものすごい点数だったが「科目によって偏りがありすぎる」と言われた。

いまの画一的な教育方法、しかも、教師になる人間が必須単位が多すぎてなにもできない。優秀な人間は教師なんてやらないし、そこそこの大学のやつで「70点が取れる」やつが、とにかく学校に通って教師になる・・・つまり、「利口じゃない」やつが今の教師の大半なのである。そりゃぁ、利口じゃないやつに教われば、利口じゃなくなるに決まってる。もはやネット社会で、すでに集団生活云々なんていうのは崩壊しているだろう。国が強制的に生徒を一カ所に集めて勉強させるというのは、子供の発育上も必要なことだとは思う。が、いかんせん、だめなやつがマニュアルに沿ってやっていて、しかも下のレベルに合わせて進行しているので「だめなやつを量産」してしまっているのが日本の教育だ。あれじゃ、だめだ。

さて、目移りする話からだいぶ離れてしまった。しかし上記のように、話も目移りしてどんどん変わっていくことがある。会話も思いついた順番でしていって、いきなり前の話題に戻ったりするので、話している人は大変らしい。まぁ、しょうがない。私が目移りなのだから。でも問題なのは、さっきまで話していることを忘れたり、10秒前にやろうと思っていたことを5秒前に近いことをやろうと思ったせいで忘れたりすることだ。単なる馬鹿かもしれないが。

私が違った教育を受けていたら、今とは違う道を歩んでいただろうし、少しは社会性を持った人間になれたであろう。いまの私は、取り柄のない人間で絵も描けないし社会生活にもなじめない。へんぴな文章を書いてそれがある一定数に受け入れられているから生きていけるのだ。決して文学賞を取るようなものではないが、まぁ、15年も続けて来たんだからそれなりのものはあるだろう。その代わり私の社会性は人よりないのかもしれないが、まぁ、それを望んでやってきたし、文章だけは一応皆さんが読んでくれる程度のものがかけているのでよしとしよう。

ほんと文章まで目移り。

3Dプリンターが出たとき「これでなんかできないかな」とか、「こういうプログラムがあれば更新も楽だから自分で作りたいな」と思ったり・・・しかし、いずれも勉強している段階で断念。結局、文章を書くことしか能がないのである。

アイディアも、書きためてこれはいけると思っても結局何の行動も起こさなかったり・・・何年か後に考えていたものと同じのが出ると「ああ、やっぱり」と思うのである。

さて、目移りというのは仕事だけではないんだが、ほかでも「これもいいしあれもいいな」なんて、食べ物や服でも悩むことがある。女の子も「あの子がいいかこの子がいいか」なんて悩んだりしていたのだが、もうすっかりそんな気も失せて引きこもりがすきな文章を書く変な人になってしまっている。しかし、「いま」を生きていられるだけ幸せなんだろう。目移りしてもなにしても、「(いまは)これでいいのだ」と、天才バカボンのパパの台詞をつぶやく俺なのでした(結局、そこにおちつく)