文章とは難しいものだ

10年以上なんかを書いて暮らしているが、文章とは難しいものだ。テクニックだとか読ませるとかそういうことではなく、

「そもそも、伝える必要はあるのだろうか」

と思ってしまうのだ。

「気づかない人に気づいてもらわなくても別によいではないか。主張を出したところで賞賛を受けるわけでもないし受けても困る。かといって批判の嵐でも面倒くさいし、全員が賛成してもそれはそれで怖い」

と思うと筆が、いやキーボードタッチが鈍るのだ。

先日も「仕事でひどいことされたんですが腹が立って・・・復讐したいのですが」のような相談を受けたが、

「あなたが働いているから負け組なのです。人に何かやられたことより自分の生活を第一に考えた方がいいですよ。まずは労働者から脱することです」

と、相談者がおそらく期待してないであろう答えを出してしまった。でも解決は解決だ。高みに行ってしまえば、人が穢れたものだとわかるだろう。人と関わらない人生が一番楽であることに気づくはずだ。しかし、またそこまで行くと「さみしい」と思う人もいるだろう。人間とは身勝手なものだ。

今を生きているのだから今を生きればよいだけで、人は関係ないのである。

明日死刑になるとか逮捕されるとかそういうのでなければ、「生きているだけで丸儲け」なのだ。明石家さんまが同じ事言ってたが、昔は意味がわからなかったが、今はわかる。「今日生きただけでもうそれでよかった。明日もまた生きよう」と思うかどうかなのだ。明日生きるのがいやな環境にいるのであれば脱すればよい。脱すると社会的に・・・とか、人の目が気になる・・・というのであれば、いやな環境でも慣れるしかない。

俺なんかは完全にキチガイかアウトローかバカか天才かのどれかで言われている。秀才とは間違っても言われない。まぁ、評価としてはあまりまともなものではないだろう。でも自由はあるし人の言うことなんてどうでもいい。評価が低いと課税されるとか言うなら人の目を気にして生きるが、別に嫌われようが好かれようが、税金は稼いだ額に応じて払えばいいのだから、関係ない。

まぁ。ご託はともかく、今日も生きることができたのである。明日は何をしようか。きっと、明日も生き延びれる。それで、よいではないかと思うのである。