旅が好きだ。

それはおそらく日常の退屈な生活から少しでも離れようとする離脱本能か、あるいは旅行に行けば非日常があるに違いないと根拠のない期待を抱いているせいかもしれない。

本当は「旅に出れば脳に刺激を得られて良い作品を書くことができるかもしれないという幻想だ。

そもそも、調査報道を出すのであれば、旅行というのはその取材に必要な最低限のものとなることはいうまでもない。調査報道とは旅ではなくむしろデータを丹念に当たっていく作業のほうが人への取材より多いのが常だから、旅とはあまり縁がないかもしれない。

だから旅というのは、なんらかのハリーポッター・・・のような空想の物語を描くクリエイターにこそとって必要なものだ、と思ったりもする。

ただし、売れっ子になると旅なんてのんきにしている暇はなく、それら旅で得た情景が資料で必要ならば編集者や助手が代わりに行って、作者本人は机の前でただひたすら資料を見て妄想を繰り広げ作品を生み出しているなんて例もかなりあるだろう。作者・・・作家や芸術関連の人間が「ちょっと頭がおかしい」のは、「こもって仕事する」という非日常が多すぎるせいではないだろうか、とおもったりもするのだ。

 

旅が好きなのだ。私は。原稿が書けないとかぶーぶー言っている割には旅に出る。場合によってはかなりの金がかかる。でもそれがいつか帰ってくると信じて、いや、そんなことも考えずにただひたすらの非日常を楽しんでいる。だから同じところに何度も行くとすぐ飽きる。それが旅だ。

非日常を追い求めるとその先には何があるのであろうか。こればっかりはわからない。貧乏旅行でも金をかけた旅行でも、結局「非日常として生きているのが自分の日常」になった瞬間、旅をやめてしまうものなのかもしれない。

人間の脳はまったく解析されておらず、うつ病一つとってもあの薬がいい、いや薬はだめだ、それは生まれつきだetc・・・なにも判明していない。

脳の働きで旅に出るものであるし、旅を辞める時も脳の働きだ、と書いたらおかしいだろうか。でも実際そうである。意思というのは脳の働きに過ぎないのだから。もし、神に操られる人間なんてものがいたらそうじゃないのかもしれないが、残念ながらそういう人は科学的に証明されていない。つまりはすべて、人間の動きは意思によってなされるものだ。

何を当たり前なことを、と思う人も多いだろうが、その意思はなにによって生まれるのか、人によって違うので定かではない。毎日家にいても平気な人もいれば、貧乏旅行でもいいからずっと旅をして暮らしたい人もいる。

同一なる個を持つ人間はいないとされるが、「旅にいきたいかどうか」「旅にずっと行っていると飽きるかどうか」などは人によって違うとも思うし、金がかかりまくるのでこういう研究をやったことのある人間もいないだろう。インタビューでの研究はあるだろうが、実際に人をある意味「追い込んで」みて、人は旅を続けるのかとかやめるのかを見てみたいものである。

ところで私は旅が好きだ。なぜかはわからない。旅に使う金をとっておけば今頃都内に豪邸が建っているのではないかと思うくらい使っている。それだけ私が「非日常感を求める欲望」が強いのか。しかし矛盾するようだが、家にいるのも大好きだ。外に出ずに家にぼけっといるのが一番、おこもりが一番だと思っている時もある。

人間、所詮はわがままで他人にはその行動は理解できないということだろうか。

それはそうかもしれない。

 

なにせ、私自身が、なぜ旅をしてやめてまた違う旅をして、モノを書いているのか、はじめて15年以上たった今でも、よくわからないのだから。