京都といえば京都新聞と京都銀行と、なりすましで豊臣とか織田とか名乗る奴。

京都の全く表に出てこないフィクサー、任天堂でもワコール塚本でもなく、1000億くらいあるんだろうなと思う爺さんと昔愉快なことをしていたことがある。いまはすっかり、というかおそらくその爺さん死んだんだよな。すみませんたまに記憶の一部が欠如するようになっていて・・・若いときの話も数年分ごっそり消えてるとか・・・

では投稿の京都話、また行こう!

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まさしく!京都に蠢く懲りない有名人

 

野中が倒れた。もう92才か。黄泉の国から出入り禁止でもくらっているのか?いやはや、その年まで現役とは、恐れ入ったものだ。

一旦、引退した野中が再デビューとなったのは、”コウドウカイ”の弱体化ではないか、といわれている。裏の社会の話だが。”コウドウカイ”は、実質は、名古屋の高山がトップの朝鮮人脈だった。

京都では1998年、京都のフィクサーと言われた山段芳春に2度の逮捕状が出た。逮捕状の出た日に、自らが支配する病院で、急死。自殺説、他殺説入り乱れて当時は大騒ぎだった。

山段が死んだことで、京都のバランスが崩れ始める。山段は、会津小鉄会の地盤で、裏も表も、権力を謳歌していた。そもそも、山段は、「警察官」だった。それを辞めたあと、すぐに京都銀行に就職。銀行業務のかたわら、戦後の労働問題に悩む企業側に入れ知恵して、組合潰しをやとりげた。単に潰すのではない、融和。つまり、御用組合を作っていった。組合には、神戸の松浦組配下、京都の木屋町で隆盛をしていた、川瀬組が交渉の矢面にたった。川瀬組、川瀬邦造は、クニちゃんと市民からも言われるような、まさしく極道、親しまれる極道であった。若い頃には、学生800人を率いて、会津小鉄会の中島連合2000人とケンカした猛者でもあった。

その、川瀬邦造を通じて、山段は、至るところに融資を行った。大津の高山や、会津小鉄会の面々、さらには山口組のタクミや中野太郎まで、ありとあらゆる組織の身内に融資を行った。

一方、野中は、山段の配下ながら、JAの金を運用するグループから、色んな企業や反社に貸し込んで手数料を政治資金としていた。労働金庫など、特定の産業グループあるいは中央省庁系が作っている金融機関で、国の資本が入ってるものは役人と政治家のものだ。忖度どころの話ではない。つまらぬ茶番を国会でやっているが、あの国会のバカどもは、朝日新聞阪神支局襲撃事件がなんで起こったかなんて知るよしもない「素人」だ。しかし、野中は「プロ」だ。好き嫌いはともかく、野中は政治家のプロであって、今どきの政治家のほとんどは「素人」だ。

余談だが、もりかけ問題を巡って、財務省がてんやわんやになっている。「相撲事件であまり報道されないから財務省のてんやわんやが表に出ない。よかった」なんて話を財務官僚から聞いた。

さて。

金は、力の象徴であり、まさしく資金の供給源を押さえた、山段と野中の両者は、京都という、同和と朝鮮の絡み合う土地で、隆盛を図っていく。バブル絶頂期、野中は、京都駅南口に野中事務所を開いていたが、全国から不動産がらみの話を持ち込む、議員バッチを着けた輩で、溢れかえっていた。

数々の不法行為が疑われ、大阪地検特捜、京都地検も、躍起になって、野中の暗部を追うが、結果として丹波の財団がらみの話でしか追及出来なかった。野中は、「同和」を前面に出した。捜査が入りそうなら京都新聞に「部落差別だ」と書かせる。もうカネのためなら何でもありだった。

ただ。「野中=同和」というイメージが有るが、野中は、同和ではない。近年、大津の高山の息子と、名古屋の高山を追い詰めた、上田藤兵衛は、野中と同じように全日本同和会の活動家であるが、全日本同和会の役職者を見れば、歴然。外国人も多数いる、エセ同和である。若い頃には朝鮮部落人間と共謀し、邪魔者をすべて”排除”したという。戦後の混乱期で、確認をしょうもないが、”急にいなくなる人間”はいたようだ。京都の総聯で、それを喋る老紳士から聞いた。

 

一時期、検察や裏社会からも追われていた、野中が、上田藤兵衛を使って、名古屋の高山、大津の高山の息子を追い詰めた、結果。野中が表社会に再デビューと相成った。これはもう、どこの報道でも書かないだろう。書いてもそういうことに興味をもつ人間もいないし、広告も付かない。逆に、めんどくさいことになるだけだからだ。しかし、いい歴史も悪い歴史も、のちの世代に文章で伝えてこそ、価値となる。伝えることは、地球上の生物で唯一、文字でのコミュニケーションを行うことができる人間の義務でもある。いずれは、人間を超えるAIとやらが、このような文字も全部収集して図書館のような機能も担うのだろうが、いずれにしろ、後世に伝えるのは大事なことだ。

そんな、時代を生き抜いた、老練の野中も年には勝てない。所詮は、二階堂氏のよく言う言葉を借りれば「有機アミノ体の塊」にすぎないのだよ、人間なんてものは。酸素ボンベを引いても。生きてるだけで、まだ儲けている”シンキロウ”というのもいるが。そういえば名古屋地検特捜部がかつてシンキロウの事件をやろうとしたが潰された。あのときの検事も皆退官した。そろそろ話してもいいことがたくさんある。

「権力」は生きることこだわる。死ぬのが怖いのだ。ただ権力は、意地汚く生き続けるものの所に集まる。それが真の姿だ、といったら、皆さんはどう思われるだろうか。