●超拡散希望《「尼港殉難者を慰霊する会」を発足します。来年5月24日に小樽手宮公園で行われる【尼港殉難者100周年慰霊祭】に全国からご参集ください》
■四年前、「済南・通州両殉難者慰霊祭」を、靖国神社本殿で催行するとき、日本社会で忘れられている「尼港日本人惨殺事件」もいっしょにと、思案しましたが、
場所がロシアですのでいっしょには難しいと判断した次第です。
実際、尼港日本人惨殺事件殉難者の追悼碑と納骨堂は、昭和12年、小樽手宮公園に建立され、毎年5月24日に慰霊祭が執り行われていることを、
小樽は地元ですので承知していましたが、また小樽は日教組発祥の地でリベラル色が強い街ですので、気になっておりましたところ、5月24日に安倍首相が
プーチン大統領との会談のためモスクワへ飛び立ったとき、尼港日本人惨殺事件の慰霊祭が行われているか否か気になり、小樽の関係各所に電話で問合せしまた。
その中で驚愕する事実が明らかになりました。
それは、手宮公園の尼港殉難者納骨堂に安置されていた「遺骨」を、小樽市が平成元年に小樽市共同墓地内にある万霊搭(無縁仏)に移設したとのこと。
それを訊いたとき体が震える憤りを覚えました。
何故なら、同納骨堂に安置されていた「遺骨」は、平成元年に移設業務を行った方によると「遺骨はひとつづつ木箱に入っていたものを、万霊搭に入れるため
『木箱をバラバラ』にして、まとめて納骨しました」と、語っていましたが、この行為はあり得ない暴挙なのです。
それは、1920年・尼港日本人惨殺事件殉難者731名の日本人として特定された「遺骨」は、小樽市民の総意に基づき日本政府に請願して、
ロシアに保管されていた「遺骨」をまとめて昭和12年(1937年)、小樽手宮公園の慰霊搭(追悼碑・納骨堂)に安置されることになっていたからです。
ちなみに、その慰霊搭は、海運業で財をなした実業家藤山要吉さんが私財を投じて建立されたものです。
※尼港日本人惨殺事件は、ソ連の統制下にあった共産パルチザンが実行したのであり、賠償責任はソ連にあるにも拘わらず、1925年、
我が国はソ連と国交を回復する過程で北樺太のオハ油田利権と引きかえに、ソ連の責任が棚上げされ「賠償」を求めませんでした。情けないことはいつもの通りです。
いま、北方領土交渉もロシアの意向のままでなんら進展していませんが、ソ連からロシアに政権が継承されており、シベリア抑留問題だけでなく
「尼港日本人惨殺事件」を声高に訴えることは、現在の我が国の「国益」にも直結する大問題なのです。
【尼港殉難者を慰霊する会】は、会員を募ることはしませんが、「尼港日本人惨殺事件」に関する情報は「水間条項」で会として発信しますので、
全国から2019年5月24日(金曜日)尼港殉難者100周年慰霊祭に参加される方は、個々にJALやANAのパック旅行を申込みしていただき、
慰霊祭前日に共に行動を希望の方々は、事前に「オフィス存」に連絡していただければ登録しておきます。
◆実際、水曜・木曜・金曜の二泊三日であれば、東京発→札幌(小樽)、往復飛行機代・ホテル二泊宿泊代込みで3万5千円前後の
「パック旅行」がありますので、それをイメージして九州・本州の皆様方は計画をたててください。
◆近現代史研究家・ジャーナリスト水間政憲
◆近現代史研究家・ジャーナリスト水間政憲
〇《インターネット時代の歴史戦は世界史に刻まれた犯罪「
尼港日本人惨殺事件」で戦うときが来た!》
■中国は「南京事件の嘘」がバレたら「正定事件」、韓国は「慰安婦強制連行の嘘」がバレると「徴用工問題」と、いつまでたっても中国・韓国が投げてくる「嘘」にあたふた反論していては、いつまでたっても連戦連敗を覚悟しなくてはなりません。
日露戦争後の国際的大事件は、ロシアの共産主義革命が及ぼす国際政治の激変の最中、共産パルチザン4000人(朝鮮人1000人・中国人300人)が実行し、世界史に刻まれている「大惨殺事件」を、戦後歴史から消す動きは、ソ連は勿論のこと米国も歴史の読み違いの「汚点」を消す共通点があり、GHQ占領下、GHQは、小樽手宮公園に建立されていた「尼港殉難者慰霊碑・納骨堂」の破壊命令を出しましたが、小樽市民が阻止した輝かしい歴史があり、その「尼港日本人惨殺事件」から来年、100周年になる機会に歴史の大転換を図るときがきたのです。
戦後、反日左翼が編纂した教科書や百科辞典の記述は、すべて過去の戦争を「日本罪悪史観」一色ですので、ある意味わかりやすいのですが、「法と証拠」に照らし合わせると、反日左翼を沈黙させれる資料は存在するのです。
「南京の嘘」は、ケリをつけましたので戦前と「GHQ占領下」の小樽市民に敬意を表し、これから「尼港日本人惨殺事件」を国内外に喧伝することも行います。
北樺太の対岸の尼港(ニコライエフスク)で、1920年初頭に勃発した世界史上の大惨殺事件(白系ロシア人約6000人、日本人731人)の被害者は、歴史から抹殺されたような状態ですが、日本人の「遺骨」が安置されていた小樽の仏教会の有志が、慰霊祭を継続して来年100周年になりますので、全世界に喧伝する機会がまいりました。
当時、生き延びた日本海軍士官の手記が、大正9(1920)年4月20日付『大阪毎日』に次のように記載されています。《彼等過激派の行動は偶然の突発にあらずして、徹底的画策の下に実行されたものとす。すなはち左のごとし。第一段行動として、露国資産階級の根本的壊滅に着手し、所在資本階級者の家屋を包囲し、資産の全部を公然掠奪したる後、老幼男女をとはず家人ことごとくを家屋内に押しこめ、外部より各出口を厳重に閉鎖し、これに放火し、容赦なく火中におう殺し尽くしたり。
第二段の行動として、親日的知識階級に属する官公吏と私人とを問はず、容赦なく虐殺、奪掠、強姦など不法の極を尽し、第三行動として、獰猛なる彼等の毒牙は着々我が同胞日本人に及びたるなり。ここにこれが実例を指摘せんとするに当り、惨虐なる暴戻ほとんど言ふに忍びざるものあり、敢へてこれを書く所以のもの、すなはち犠牲者の尊き亡霊が全世界上、人道正義のため公言するものなり。深くこれを諒せよ。
公然万衆の面前において暴徒悪漢群がり、同胞婦人を極端に辱かしめて獣慾を満し、なほ飽く処を知らず指を切り、腕を放ち、足を断ち、かくて五体をバラバラに斬りきざむなど言外の屈辱を与へ、残酷なる弄り殺しをなせり。またはなはだしきに至つては馬匹二頭を並べ、同胞男女の嫌ひなく両足を彼此の馬鞍に堅く結び付け、馬に一鞍を与うるや、両馬の逸弄すると同時に悲しむべし、同胞は見る見る五体八つ裂きとなり、至悲至惨の最期を遂ぐるを見て、悪魔は手を挙げ声を放ちて冷笑悪罵を浴びせ、群鬼歓呼してこれに和するに至つては、野獣にもあるまじき兇悪の蛮行にして言語に絶す。世界人類の公敵として天下誰かこれを許すものぞ、いはんや建国以来の民族血族においてをや。
帝国居留民一同悲憤の涙を絞り、深く決する所あり、死なばもろとも、散らば桜と、一同老幼相携へ相扶け、やうやく身を以つて領事館に避難し、その後市街における同胞日本人に属する全財産の掠奪は勿論、放火、破壊その他暴状至らざるなし。しかりといへども軍人と云はず領事官民と云はず飽くまで彼等と衝突を避くる事に注意し、切歯扼腕、堅忍自重す。しかるに彼等過激派はますます増長し、つひに領事館に向かつて砲撃を加へ、我が領事館は砲火のため火災を起こすに至り、もはや堪忍袋の緒も切れ万事休す。
これまでなりと自覚するや、居留民の男女を問はず一斉に蹶起して、自衛上敵対行動をとるに決し、男子と云ふ男子は総員武器を把つて護衛軍隊と協心戮力、頑強に防戦し、また婦人も危険を厭はず、敵の毒手に斃れんよりは潔く軍人の死出の途づれ申さんと、一同双手をあげて決死賛同し、にはかに活動を開始す。
しかも全員いかに努力奮戦するも、衆寡敵すべくもあらず、刻一刻味方の減少するのみ、ついには纎弱なる同胞婦人に至るまで、戦死せる犠牲者の小銃、短銃を手にし、弾はかく込むるものぞ、銃はいかに射つものなるぞと教はりつつも戦線に加わり、無念骨髄に徹する敵に対し勇敢なる最後の抵抗を試み、ことごとく壮烈なる戦死を遂ぐ。かくてもはや人尽き、弾丸尽き、力尽き、人力のいかにすべきやうもなくなほ生存の健気なる婦人または身動きの出来る戦傷者は、なんすれぞ敵の侮辱を受くるものかはと、共に共に猛火の裡に身を躍らし、壮烈なる最期を遂げたり》と、驚愕の状況が記されております。
戦後、小樽仏教会の有志の僧侶によって、慰霊祭が継続していたことが救いですが、「尼港日本人惨殺事件」を改竄し、悪意にみちた記述を粉砕して日本人が心から追悼するときが、100年目の真実として国内外に拡げることは、たまたま小樽に生まれ近現代史を研究している小生の使命として実践するものであります。
これまで「水間条項」を読まれてる皆様方にも理解していただけると確信しております。
来年5月24日午後1時に小樽手宮公園の「尼港殉難者慰霊碑・納骨堂」でお待ちしております。
◆近現代史研究家・ジャーナリスト水間政憲
◆【動画】【ニコニコチャンネル 水間条項国益最前線】http://ch.nicovideo.jp/mizumajyoukou