朝鮮半島

朝鮮半島情勢が完全迷走しそうな案配に見受けられます。日清・日露戦争のときもそうでしたが、盲腸のようなあの半島、大国間のPower Vacuumとしてしか存在価値がないのでしょうか。
 北朝鮮と下朝鮮…ではないのですが、今の南の執権者文在寅、いや、文在寅を中心に取り巻く連中一切は、完全に北の思想的コントロール下にあるおかしな連中であることは、公然となって久しいと思われます。

 北朝鮮は「人民共和国」ではなく、白頭山金氏一族を奉るためだけに国家が存在し、その国家目的のために人民が生かされている奇形国家であることは、大方に同意いただけることと思います。
 北朝鮮の政治思想である「主体思想」、この内容は「首領絶対主義」に基づく社会共同体合一理論であって、社会の中心かつ主導者の地位に立てるのは(北朝鮮においては)白頭山金氏一族のみという極端な個人独裁理論で、共産主義や社会主義とは完全に異質で、人民の平等かつ自発的参画により成立する「社会主義」体制の裏付けたりうる「思想」としては、到底評価の対象にすらならないものです。
 というのも、一般的な共産主義的国家では、当該国の執権者を決めるのは「執権党」ですが、主体思想においては(その正統性の源泉が人民に由来するはずの)執権党の上に首領が存在し、その領導に人民は絶対服従を求められるという、理解しがたい政体の存在が正当化されることになっているからです。
 故に、金正日時代の歌の歌詞に、「人民を天のように信じてくださるお方、その天の太陽は金正日同志」とかいう、蛇が自分の尻尾をくわえて回るような奇っ怪なメタファーが出てくるわけで、こういう奇妙な理屈は、日本に住む我々凡人には理解不能です。

 さて、多少マニアックな話になりますが、「領導芸術」という言葉、二階堂様は御存知だと思います。「主体思想」の政治理論に関する内容の研究は、日本を含めた諸外国でも一定程度は分析進んでいるところです。
 しかし、北朝鮮(というか「金氏朝鮮王朝」の)統治理論の根底をなす主体思想を幅広に見たとき、真に警戒すべきは主体思想の影の一主要部分を構成する「領導芸術」の手法であり、それに絡め取られた者が発起点となって生じさせる社会的な「動き」ではないか、そのように当方は考えます。
 「領導芸術」という言葉自体、日本では聞き慣れませんが、これは、主体思想を具現化するための一つの政治的技術であって、人民大衆を組織化して動員し、ある政治的路線を徹底的に(かつ予定調和的に)実現させる統治方法と手腕、そうとでもいうべきテクニック…としか説明のしようがありません。相手にそれと悟らせずに、その人を動かしていく技術、ある種のマインドコントロール技術を政治的に体系化したものです。そのような統治技術がビルトインされた政治思想で成立する北朝鮮とは、果たしてどういう国なのか。

 そして韓国では、1987年民主化宣言以後、そんな北朝鮮のために尽くす「従北」思想に染まった主体思想派が公然化しました。その核心メンバーは主体思想に染めあげられた、自由民主主義の国家観とは全く相容れない思想で武装した者です。
 そのような者を、金大中、盧武鉉、そして文在寅が、政権・軍・官僚機構にどんどん引き込んだことで、韓国という国は、最早どうにもならない状況に陥ってしまっています。国際法的には戦争状態にある敵国に尽くす思想を持つ勢力が、社会の全分野で既得権勢力となってしまった韓国、ここ1~2年のところ、韓国はどっち側に付くのかといわれ続けていましたが、国家の深層部分では既に決着が付いてしまっており、情勢がこれ以上流動化した場合には(自由主義陣営国家としての)韓国は内部崩壊しかねないでしょう。

 直近では、金正恩の妹である金与正が、韓国での脱北者の活動を糾弾する声明を出したことに端を発し、南北間の連絡チャンネルが切断されました。これに対し韓国がどうするかと見ていたら、今日になって、韓国統一省が脱北者団体を刑事告発するという信じがたい結末。反共を国是として建国されたはずの韓国は、もはや完全に終わっているとしか思えません。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020061000821&g=int
 北朝鮮の外交陣は、その陣容が薄く、交渉戦術にも限界があるため、複数の方面で同時に攻勢に出ることは多くはなく、外敵の最も弱い部分1点を見定め、正攻法と詭計を取り混ぜながら、そこを集中的に突破することで局面転換を図るスタイルです。そういう連中が、米中対立の水準が次第に上がっていく中、現情勢下では、周囲を取り巻く最弱部分が韓国だと見切って外交攻勢をかけ、これに対する韓国はぐだぐだ。在韓米軍がいるから寝返っていないだけの国とは、これ以上関わらないほうが我が国のためです。