この記事はいい記事だ。朝日から全部パクる。怒られたら削除する(苦笑)

新型コロナウイルスへの対応をめぐり、「専門家」のあり方が問われている。「正しく恐れる」ために欠かせない情報をきちんと示さず、社会や経済の混乱につながっているという。どういうことなのか。国立感染症研究所感染研)や米疾病対策センター(CDC)などで研究してきたウイルス学者、西村秀一さんに聞いた。

拡大する写真・図版国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長=2020年6月20日、仙台市宮城野区、小玉重隆撮影

――日本社会の新型コロナへの対応を批判していますね。

「実態と合わない対応が続いていることを危惧しています。亡くなった方を遺族にも会わせずに火葬したり、学校で毎日机やボールを消毒したり、おかしなことだらけです。私は『もうやめよう』と提案しています。コロナ対策の委員をしている宮城県の会議でも訴えました」

――どこが問題ですか?

「まず強調したいのは、病院と一般社会は分けて考えるべきだという点です。いまはスーパーでも病院で使っているフェースシールドを着けていますね。しかし、ウイルスが現に存在して厳しい感染管理が必要な病院と一般社会では、ウイルスに遭遇する確率が全然違う。厚生労働省が6月に実施した抗体検査で、東京の保有率は0・10%でした。そこから推測すれば、街中そこかしこでウイルスに遭うようなことはありません」

――東京では1日200人を超える感染者が出ています。ウイルスが街中にいないと言えますか。

「東京全域を一律に考えるべきではありません。いま感染者が出ている多くは、限られた地域の特定の場所の関連です。市中感染があっても人口1千数百万人に比べればそれでもまだ数は少なく、ウイルスが街に蔓延(まんえん)しているわけじゃない。社会での感染対策として、リスクの高いところからつぶしていくことは可能です」

――なぜ実態と合わない対策が続いているのでしょう。

「突き詰めて考えると、専門家の責任が大きいのです。例えば、接触感染のリスクが強調され『手で触れる』ことへの恐怖が広まっていますが、ウイルスと細菌の違いが軽視されています。細菌は条件が整えば自己増殖して一般環境で長く残りますが、ウイルスは感染者の体外に出て寄生する細胞が無くなると、少し時間が経てば活性を失う。本当はウイルスは細菌より接触感染のリスクがずっと低いのです。なんでもアルコール消毒をする必要はありません」

――それでも、「プラスチック面で数日生き残る」という専門家の話を聞くと、やはり心配です。

「確かにプラスチック面では比較的長く生き残るという論文はありますが、それは、面に載せた1万個弱のウイルスが最後の1個まで死ぬのに、3、4日かかったというものです。ただ、そこにある生のデータを細かく見ると、生きているウイルスは最初の1時間でほぼ10分の1に減っています。ウイルスの初期量が少なければ、もっと短い時間で感染リスクはなくなるのです。私たちは、まるで街中のドアノブに生きたウイルスがうようよいるかのようなイメージを刷り込まれている感じですが、それを証明した人はいません。百歩譲って存在していたとしても、数はそんなに多くないはずです。ですから、この論文の結論をそのまま一般社会に当てはめることは適当ではありません。学術論文を批判的に検証するのが、科学者の基本の『き』。それをもとにした議論が必要です。しかし、このところ『専門家』は論文の前提条件や仮定も飛ばして、そこにある数字だけを右から左へ流すばかりです。それでも世間の人たちは『専門家の言うことだから』と信じて、何でも怖がってしまいます」

拡大する写真・図版オンラインでインタビューを受ける国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長=2020年6月20日、仙台市宮城野区、小玉重隆撮影

――リスクが低いと聞いても、不安に感じてしまいます。

「世間の人がそんな不安を抱くのは、専門家がきちんとリスクを評価して、社会にそれを伝えていないことに原因があります。リスク評価の根幹は、具体的な確率を検討することです。例えば、感染者のせきでウイルス1万個が飛んだと仮定しても、多くは空気の流れに乗って散らばり、机などに落下するのは1センチ四方あたり数個。では、それが手に付く数は? 鼻に入る確率は? 時間経過でもウイルスは減る。こう突き詰めるのがリスク評価なのです」

「『可能性がある』と語って人々に対策を求める専門家がメディアで散見されますが、キャスターや記者は『それなら感染する確率はどれぐらい?』と問わなきゃいけない。専門家に課されているのはリスク評価です。『可能性はあります』なんて誰だって言える。専門家なら、リスクがあるかないかという定性的な話をするのでなく、どれくらいあるか定量的に評価しなければなりません」

――ただ少しでもリスクがあるのなら、対策を取った方が安心ではないでしょうか。

「『安全率』という考え方があります。現存するリスクの範囲で対策を取ると漏れる恐れがあるので、バッファーを設けるようにする。安全率を取るのはいいですが、どこまで取るかが問題です」

「ゼロリスクを求めれば、『念のため』と対策もどんどん大きくなる。しかし、その下で数多くの弊害が出ています。人と人の関わりが無くなったり、差別してしまったり。職を失い、ウイルスでなく、その対策で命を落とす社会的弱者もいる。スーパーで買ったポテトチップの袋までアルコールで拭くのは、ウイルス学者の私には笑っちゃうような話だけど、笑えない。そんな恐れを広げた専門家に怒りが湧きます」

「葬儀の問題も同じです。息をしないご遺体からウイルスは排出されません。皮膚に残っていたとしてもお清めをするか体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはずなのです」

拡大する写真・図版国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長=2020年6月20日、仙台市宮城野区、小玉重隆撮影

政治と距離保ち、異なる見解も踏まえて

――なぜゼロリスクを求める対策が広がってしまったのでしょうか。

「感染症対策をめぐる科学者の見解は多様で、なかなか一致しないもの。だからこそ国民に関わるリスク評価に際しては、一方の意見だけでなく反対意見も議論しなくてはならない。しかし政府の専門家会議でリスク評価の議論に偏りが生じた懸念があります。メディアも誤ったメッセージを社会に広めてしまった。例えば、接触感染のリスク評価はどれだけ適正に行われたかという点。3密回避が発信されたのは良かったのですが、空気中に浮遊するウイルスのリスクが十分に検討されたのかという点も疑問です。密室など条件は限られるものの、ウイルスは、呼吸で体内に達する方が物を介するより、はるかに少ない数で感染する特性を持ちます」

「感染拡大が迫り不安に駆られる人が増えるなか、議論を対策につなげるスピード感は大事だったでしょう。しかしリスク評価を誤れば、かえって社会に恐怖が広がりゼロリスクを求める風潮につながってしまいます」

――専門家会議では議事録がないことも問題視されました。

「どんな議論をして提言をまとめ、議論されなかったことは何か。異論は出なかったのか。施策の妥当性を絶えず検証し、政府に都合のいいアリバイ作りに利用されないためにも、記録を残して、できるだけ早く公開する必要があります。また今回、政府は一方的に専門家会議を廃止しましたが、政治と専門家の間に適切な距離があったのかも検証が必要です」

――CDCに3年近くいましたが、米国では政治との関係性はどうだったのですか。

「CDCは政府機関ですが、その強みは独立性です。本部はワシントンでなくアトランタにあり、政治の影響を受けにくい組織になっていました。海外で感染症が流行すると独自の判断で研究員が現地へ情報収集に飛び、国内で感染が拡大しそうな局面にはCDCの放送室から国民へ直接発信していました」

――ただ今回はあまり存在感を発揮できていませんね。

「トランプ政権になって資金的に冷遇され、コロナ対策でもCDCがつくった学校再開に向けた指針を大統領が批判するなど政権とのちぐはぐが目立ちます。政治に左右されると結局、国内の感染状況に如実に表れてしまいます。私が以前いた日本の感染研も、厚生労働省の強い管轄下にあります。東京都にCDC的なものを創設するという話もありますが、つくるのなら、都知事の意向をもろに受けず、独自の哲学を持ち、資金面を含め自由度の保障された組織でなければなりません」

拡大する写真・図版国立病院機構仙台医療センターの西村秀一・ウイルスセンター長=2020年6月20日、仙台市宮城野区、小玉重隆撮影

――1918年の世界的なインフルエンザ流行を描いた「史上最悪のインフルエンザ」、そして44年前の米国で起きた騒動を検証した「豚インフルエンザ事件と政策決断」を翻訳していますね。

「どちらもCDC時代の上司から紹介されたもので、歴史の教訓を語っています。前者は、パンデミックに備える重要性を記したもの。後者は、新型ウイルスの流行想定が専門家から政治家への伝言ゲームでつり上がり、政治決断で突如実施されたワクチン大規模接種が生んだ不都合を描いています。結局パンデミックは起きず、ワクチンの副作用と公衆衛生行政への不信だけが残ってしまった」

パンデミック対策はアクセルを踏んだら、ブレーキも踏まねばならない。双方のバランスこそが必要だと学びました。現在まさに起きている、意思決定のプロセスを途中で冷静に検証し場合によっては止めるメカニズムの欠如、そして『専門家が確率を語らない』ことも、歴史的に繰り返されてきたのだと分かります」

――しかし、そのバランスを取ることが難しいと思います。

「感染リスクは環境や条件によって異なります。一律の対策はあり得ません。2月の一斉休校要請もその後の緊急事態宣言も、地域ごとにやるべきだった。分かってきた知見から、高齢者や持病のある人と重症化事例の少ない子どもで対応は違っていいはずです。一つ一つのリスク評価をする際、異なる科学的見解も踏まえて検討する。これもバランスの取り方です。危機と感じる人が多い時こそ『一色』にならないようにしなければ。我々ウイルス学者も反省しなくてはいけない。これからは平常時から専門分野を超えて議論する場があったらいいと思います」

「最終的には、公衆衛生だけでなく教育、経済、社会活動のバランスを取るのは為政者の役割です。為政者は、どんな決断をしても非難は免れない孤独な立場だと腹をくくらなきゃならない。専門家が確率を示すことが重要なのは、彼らが全体を適正に勘案できるようにするためです」(聞き手 藤田さつき、大牟田透)

1955年生まれ。専門は呼吸器系ウイルス感染症。国立感染症研究所主任研究官などを経て、2000年より現職。感染症の歴史書の翻訳も。