時を逆さに紡ぐ

2015/03/05

俺は最近、というか、ずっと思っていることがある。

「なんで、祝詞だのお経だのは、飽きられないんだろう」

ということだ。研究している人もやたら多いし、そもそも、なんでそんなに研究対象となるのか。目に見えるものではないのにどうして信仰、というか、お経を読むだけとか書くだけとかをやる人がいるのかなと。意味がわかったって、「当たり前のこと」しか書いてないし。写経に至っては「心が落ち着きます」なんて。俺そんな暇あるんなら寝るわ(^^;)というわけで、人の考えはどうでもいいんだが、なんでそういうことをやるのかなと。俺なんて絶対無理。お経だの祝詞だの、真剣に出来ない。たぶん信じてないからだね。人にやってもらった方がいいと思ってるし、家でやるならCDかけて、じっと自分は念だけ込めている方がいい。それが罰当たりだとかそんなのはどうでも良くて、「なぜやろうと思う人が多いのだろう」ということ。

お経だの祝詞だのがなぜ、飽きられないのかというのは、人間心理的にというか、歴史的にというか、科学的にと言うか・・・とにかく、ハッキリと誰もがわかるようには解明されていないような気がするが、単に「人気ある」というだけなのだろうか。クリスマスに売れるワムとか山下達郎みたいに、定番人気になった曲が、やたら多い人数に支持されて長い年月を経たので、「みんながやっているから」心理で聞いて、本当にいいもののように勘違い(いいか悪いかの科学的証拠もないままにという意味)するだけではなかろうか。なんどもいうが、こういう考えが罰当たりとか、そんな批判はどうでもいい。「どうして」の探求なのだ。

もしかすると、「一定の調子でずーっと続くもの」を聞いていると、人間トランス状態に陥るので、それを脳が快感と勘違いし、「お経いいよ」「祝詞いいよ」って話になって、人気が出た(=長年支持された)のかな、とも思ったり。しかもそれを唱えることにより、祓いだの清めだの供養だのができる、と思い込んでいるのだろう。もちろん、何らかの「不思議パワー」はあるのかもしれない。とんでもない人数の人が読んだり聞いたりするのが、祝詞だのお経だのというものだから。

見ることが出来ないだけで、なんらかの周波数がなんらかの手段を通じてなんらかの効果を何者かに与えるのかもしれない。ただそれが科学的に解明されるのはあと100年か、200年か・・・。

・・・要するに俺は何でも「なんでだろう」という疑問があるのだ。お経が人気があるのは?あの人が困っている理由は?人が特定の行動をとる理由は?など、知りたいことはキリがない。すべてのことに意味を求め、矛盾は追及しないと気がすまない私。一方、無条件に何かをやってみることもある私。その存在の中に矛盾を内包しているのが人間という生き物である。

でも、一番知りたいのは、自分のことかもしれない。俺は自分のことを何も知らない。

時を逆さに紡ぐことができれば、自分のこともわかるのかもしれないけど。