釈迦ってうつ病じゃないか?

釈迦って・・・

「王子なのに、ある日突然勝手な思いで家族捨てて、いきなり家出て行って、飯食わないで、最後、死んだら楽になった(=涅槃、悟り、解脱)。」

って・・・うつ病患者じゃねぇか。

「子供が腐った食べ物を釈迦に持ってきて、釈迦はわかってたけどそのまま食べて調子悪くなって死んだ」とかいうエピソードもあるらしいけど、俺にいわせれば、「馬鹿野郎!そのガキに腐ってるモノは腐ってるって教えてやれよ。そいつが食ったら病気になるだろ。年長者として正しく若い奴に指導しろ」って。それもさ、言えないって、うつ病だからじゃねぇの?

で、こういうのをいうと「心構えの問題で・・・」とかいう人いるけど、だったらそれ、そもそも作り話でしょって。そんな、一つでも作り話なら信用出来ないよ。大体、会ったこともない奴の言ったことで、しかも、それ、弟子の聞き書きって(笑)。全部作り話じゃないの?だって、もう仏教もいろいろあるじゃん。密教なんかだと、エロ全開!みたいなのもあるしさぁ。(あ、ちなみに、売春宿を最初につくったのは、キリスト教の教会です・笑)

聖徳太子も、いたとかいねぇとかやっぱりいたとか言ってるし、鎌倉幕府はいつ出来たのかもよくわかんないし・・・だいたい、昔の話っていい加減なんだよな。だから信用出来ないんだよね。

そもそも、「質素で心穏やかに」って言う教えが、もう、施政者が民衆に欲望持たせないため、つまり、「欲望がない人の方が人間として優れていますよ」って植え付けるための方便のような気がする。欲望を持つと、施政者に不満が出るからね。欲望を持たないで心安からに、つまり、施政者に逆らわないためにそういうふうに教えたんだろう。人間、心穏やかな方が生きてて楽だし、受け入れられやすいしね。。。ただそれは全員そうかというと、俺みたいな人には無理だ。

みたいな楽しいことないとダメな人だから。

話がそれた。釈迦でもキリストでもなんでもいいんだけど、いたかいないかなんてどうでも良くて、「何かをひたすら信じる、念じる、願う」ってのが、不思議パワーの源なんだな。祝詞だろうがお経だろうが、なんでもいいんだよ。なんかをひたすらやり続ける「人間の念の思いの強さと継続性」が物事を叶えるんだ。これは、先日書いた「不思議パワーってのは何らかの電磁波」、という俺の仮説に基づいて考えた結果だ。いわゆる、超能力だな。釈迦だのキリストだのという拠り所があったほうがそういうのもやりやすいという話なのだろう。

俺は、夜中に車で出ていき、超大音量で「集結の運命」を連続でかけると、何回目かでトランス状態みたくなる。ま、俺に合うのは祝詞でもお経でもなく、集結の運命というだけの話。俺は歌がうまいので(自画自賛)、もちろん歌いながら。そうすると、半分寝てんのか、みたいな。不思議な感覚、、つまりトランスになる。そういうふうになった時、願いをめいっぱい念じる。丹田に力入れて、おりゃ!って。血圧がガン!ってあがるのがわかる・・・と、そういうふうにやるとうまくいくような気がする。もちろん一般道じゃ危ないから、真夜中の高速、それも空いてる日に、200~250キロくらい出しながらやるのがいいかな、と思う。誰もいない新東名とか、夏の上信越道とかそういうところがいいかもしれない。(でもこれは俺の場合だし、各県警の覆面車両のナンバーと車種知ってて、見分ける天才の俺だから平気なのであって、他の人真似しないで欲しいけどね。捕まっても知らんぞ。)

「大音量のトランス状態」と、「事故ったら死ぬ」っていう命の緊張感で、すさまじい不思議パワーを産んでいるような気がする。

書いてて思った。これでやればいいんだ。でも今日はダメだ。明日にするかな・・・