無駄なことは無駄ではないかも

一つ前の記事。

無駄を省いてタイパを最重視すべく考えろということですか

という質問があった。

そんな質問をするようなレベルのバカがタイパなどをといって成功するか?俺のいうことをそのまままにうける程度のバカだからそんなことを聞くんだろう

という回答しかしようがない。その前に常に疑え、うちも疑えといつも書いている通りである。それも含めて「考える」なのだ。

無駄かどうか?お前程度の頭で無駄かどうか即座に判断できて的確に生きていけるのであればうちなんか読む必要はない。

無駄かどうかも含めて考える。というか、一番無駄なのはSNSやネットの記事、もっと言えば今の新聞や読書ですら無駄かもしれないというところまで「考えろ」と言っているのだ。
その辺に転がっているバカと同じ人生でいいひとはうちを読まないし、どうでもいい。そういう人生が嫌な奴がうちを見る価値がある。

バカの頭でパフォーマンスなんて考えるから失敗する。そもそもパフォーマンスという時点でお前はバカなのだ。バカだからそんな枝葉末節を気にしてしまう。
一年棒に振って500万溶かしても、その先に大逆転があるかもだろ?それは、「パパパパ」いってるバカにはわからない世界なのだよ。

安けりゃいいわけでも早けりゃいいわけでも品質が高いからいいわけでもない、その先がある。

その先にしか、本当の楽しさ面白さは見えてこない。
その辺の凡人で終わりたいなら一切うちなどよまないほうがいい。時間の無駄だから。