俺は死ぬ権利をずっと言っている

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痛ましい話は減らさなくてはならない。きれい事ではないし、おれもボケるくらいなら死にたい。ロートルはサッサと去るべきなのだ。

ボケ認定1年で死んでいいとか、とにかく死ぬ権利というものについての議論をはじめたほうがいい。医療費が若き世代の負担となるのは国力を削ぐのでよろしくない。

臓器移植だって意志カードでできるんだから死ぬ意志だって事前に表明してそれを担保保障する機関があってもいいくらいだとおもう。

事故ってポンコツになったら殺してとか
要介護2で周りに親戚も誰もいなくなったら殺してとか
死ぬ権利というものは、つまり生存権の一部でもあるのだ。

「健康で文化的かつ意志をもって好きなことができ、移動や生活になんの支障もない」
というのがおれの生存権解釈だが、これが崩れるようであれば生存権が何らかの原因によって侵されているということになる。そのときに自己救済を求める権利こそ、生存権から派生する死ぬ権利なのである。

衰えたボケ姿をさらしたくないと思うのもりっぱな人権として認められるべきである。