憂国活動をやめるにあたり、読者さんから
どのみちやっても後2年、25周年でそれらの活動は辞めて、経済活動のみに注力しようと思ってました。時期が多少早まっただけです。まあ要するに、右も左も上も下ももうどうでもいいし、頑張ったやつが恵まれる社会を目指して活動をしてましたが、やっても無駄だと判断しましたので、やめます。あとは勝手にどうぞ参政党でもなんでもいいけどそちらへどうぞというところで。頑張れ、リフォーム日本!
下民使用人いうのはほんとうにあさましく、Xを見ても何を見ても、そもそも使用人というのは視点が下すぎて(そのくせ保身はきにするヒラメ体質)、穢れたものに何を言ってもわかるわけがないということを身をもって知りました。
よって、
やーめた
ということです。私ももう、下なんて知ったこっちゃありませんので、上から見える景色だけ見て、あとは私の身内のみを助けて生きていきます。いろいろな裏の仕事を受けていた依頼関係も全てやめます。めんどくさすぎて。これからは他社にどうぞ。
リフォーム日本、みんなで頑張れ。当サイトは来月からは少しずつ変わっていきます。現状までの方針はJCIAが引き継ぎます。
以下投稿。
・【私の思い】拝読させて頂きました。
とても優しく、共感できる文章であると共に、切ない気持ちにもなりました。
自由資本主義は、基本的人権という概念もなかった絶対王政・封建主義時代を乗り越え(打倒して)で出来た制度と思っていましたが、その実態は、新たな権力者階級が《より巧みに悪質に》人民(国民)を搾取する制度である現実を改めて考えさせられました。
勿論、政(政治)は綺麗事だけでは出来ませんから、より大きな幸せを国民にもたらす為であれば、多少のインチキ・利権も我慢出来ますが、二階堂様の仰る通り《やりすぎ》だと思います。
【極端(バカ)な保守】も同じです。先の事を考えない単細胞な彼らの行為は、《やり過ぎ》と《普通の国民》に認識され、普通の国民が保守化に嫌悪感を抱く一因となってしまい、右翼が朝鮮・シナ人のなりすましであるのと同様、左翼・リベラルのスパイと言われても仕方のないものとなってしまっています。
しかし、嘆いてばかりいても未来は変わらないので(機を待つという考えもありますが)、物事に無関心な馬車馬の様な生き方しかできない国民や、何も考えず政府の奴隷として惰性だけで生きている国民を彼らを利用して立ち上がらせることが出来るのではとはかない希望を抱いています。しかし、両者の共通点は深く物事を考えられない事なので、時代の転換期によくある事ですが、単なる暴徒化する危険性もあり、それによって《普通の国民》がより《愛国心(自分達の生活をよくする事)》という言葉を言い出しにくい雰囲気になる事は避けたいところです。
まだ、最後の火は消えていませんよ。